西郷どん(part2)
敬天愛人(けいてんあいじん)
西郷さんが好んで使いよく揮毫した言葉です。「天を敬い人を愛す」天とは森羅万象またそれを司る神そしてそこから授かった天命を意味するのでしょう。そして慈愛をもって人に接したことが伺われます。その慈愛に助けられ深く心服している他藩がありました。それが東北の旧出羽庄内藩(山形県)の人たちです。
南洲翁遺訓(なんしゅうおういくん)
この本は出羽庄内藩から刊行されたものです。南洲翁とは西郷隆盛のことですが、なぜ新政府軍(官軍)と対立し戦った藩から、西郷さんの本が出されたのでしょう?
1867年の王政復古の大号令の後に、庄内藩は江戸の薩摩藩邸を焼き討ちしました。そして鳥羽伏見から始まる一連の戦いの中、西郷率いる官軍は会津藩、庄内藩などの東北同盟軍と戦っています。庄内藩は官軍を撃退しましたが、東北同盟軍が次々と敗れる中、降伏を余儀なくされます。庄内藩は薩摩藩邸焼き討ち事件や東北戦争での戦闘を咎められて厳しい処分が下されるものと覚悟していましたが、予想外に寛大な処分が施されました。これは、西郷の指示によるものだということがわかり、いっきに西郷の名声が庄内に伝わっていきます。
その後1870年、旧藩主酒井忠篤は藩士78名を従えて鹿児島に入り軍事教練も受けています。その後も庄内藩士は何度か鹿児島に西郷を訪ねては教えを受けています。大日本帝国憲法公布の翌年(1890年)、鹿児島入りした庄内藩士が中心になって、西郷の生前の言葉や教えを集めて遺訓を発行したのが「南洲翁遺訓」です。その一部を西郷南洲顕彰会発行「南洲翁遺訓」(岩波文庫)より抜粋してご紹介します。
「道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬する目的とす。天は我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也」(道というのは、この天地のおのずからなるものであり、人はこれにのっとって行うものであるから何よりもまず、天を敬うことを目的とすべきである。天は他人も自分も平等に愛したもうから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である。)
昨年、黄金色に輝く穀倉地帯、庄内平野に行って来ました。鶴岡市に住む友人が「敬天愛人」の石碑(写真)のところに案内してくれました。また西郷さんを祀る南洲神社(酒田市)もあるとのこと。こんなにも西郷さん=鹿児島のことを愛してくれているとはなんて誇らしく嬉しいことでしょう。クラゲで有名な鶴岡市立加茂水族館にも行きましたが、鶴岡市と鹿児島市は兄弟都市ということで水族館同士の交流もあるようです。
このように西郷どんが遺した人徳と慈愛の精神が、今でも鹿児島だけではなく他県の人々の心の中に残り語り継がれています。全国の人にはもちろんですが、鹿児島の子供たちにも維新のことをもっと知ってもらい、先人の遺してきた精神を学んで頑張って欲しいと願っています。 (八木)